人形浄瑠璃・猿八座「耳なし芳一」「むじな」 ほかの画像

人形浄瑠璃・猿八座「耳なし芳一」「むじな」 ほか

  • 開催期間:【終了しました】2016年 8月7日(日)①13:30~15:00、②16:00~17:30 会場:一階和室
  • 料金:一般2,000円、中高生1,000円、小学生以下無料(保護者同伴にて幼児入場可)
  • 主催:砂丘館

昨年につづき「猿八座」が砂丘館に登場!

今年は「人形浄瑠璃」×「平家琵琶」!! お子様もご一緒におたのしみ下さい

 

 

<演目解説>

小泉八雲(ラフカディオハーン)が妻セツから聞いた昔話をもとに書いた「怪談」の中の二編を、人形浄瑠璃に翻案してご覧いただきます。

◆「耳なし芳一」

源平の古戦場、壇ノ浦に近い赤間ヶ関(現在の下関)の阿弥陀寺に芳一という盲目の琵琶法師がいた。芳一が毎夜、平家の亡霊に連れられて安徳帝の墓前に行き琵琶を奏でている、と聞いた住職は芳一の姿が亡霊に見えぬよう、裸体に隈なく般若心経を書く。その夜も武者の亡霊が来て、見たのは経を書き忘れた芳一の二つの耳だけであった。

◆「むじな」

落語のネタにもなった「のっぺらぼう」のお話。江戸赤坂の紀伊国坂は、日が暮れると誰も通る者のない寂しい道であった。ある夜、一人の商人が通りりかかると若い女がしゃがみこんで泣いていた。心配して声をかけると、振り向いた女の顔には目も鼻も口も無い。驚いた商人は一目散に逃げ、屋台の蕎麦屋に駆け込んで、今見た化け物のことを話そうとする。蕎麦屋は「お前さんが見たのは、こんなものだったか」と商人の方へ振り向いた・・・・・

◆「先帝御入水(せんていごじゅすい)~平家物語 巻第十一」/鈴木孝庸(前田家流平家琵琶橋本敏江門下)

元暦二年(1185)三月二十四日の壇浦での平家一門の最期を伝える平家物語の一章段。語りのもととなる音譜本は『平家正節(へいけまぶし)』です。「先帝」とは退位した天皇のことで、ここでは平家一門に連れられて都落ちした安徳天皇のことです。章段名では「先帝」と呼んでいますが、本文中では「主上」と呼んでいます。平家一門にとっては、依然「いまの天皇」であるわけです。

内容は、

1、阿波の民部重能が源氏方についたので、平家方の計略は失敗、その他にも源氏方につく者が増大したので、平家軍は追い詰められた。

2、平知盛は戦況を見取って、天皇のお船に参り、掃除を始めた。

3、「二位殿」(平清盛の妻。安徳天皇の祖母)は、三種の神器のうちの二つ(神璽、宝剣)を持ち、安徳天皇に、皇祖・伊勢大神宮にお暇を申し、極楽往生を願うようにと教える。

4、天皇がそのようにしたところ、二位殿は天皇を抱いて入水した。

5、語り手(作者)の感慨。となっています。

 

 

 

 

<出演>

人形浄瑠璃 猿八座(さるはちざ)

「猿八座」は佐渡に残る「文弥人形」を基本に、数ある説経、古浄瑠璃から現代に向く作品の復活上演に取り組んでいます。

「説経」「浄瑠璃」は中世に始まる語り物。操り人形を伴って、京、大坂、江戸の劇場で盛んに上演されました。1700年前後に竹本義太夫がそれまでの浄瑠璃を集大成して「義太夫節」を創始し、今や浄瑠璃の代名詞となりました。義太夫節以前の「古浄瑠璃」の多くは荒唐無稽ながら、素朴な表現に捨て難い魅力があります。

文弥人形の語りは17世紀中頃に大坂の岡本文弥が語り、全国に広まった古浄瑠璃の一つ「文弥節」です。佐渡では明治初期まで盲人が語り継いだため、古浄瑠璃の特徴をより強く残していると考えられます。人形は一人遣い。一体の人形を三人で遣う文楽の人形よりも小さく、構造も簡単ですが、古浄瑠璃に相応しいテンポの速い動きが可能です。

古浄瑠璃の復活上演には、太夫(語り手)の語りを聞き書きした「正本」を読み下し、文献や今に残る三味線音楽の曲節を参考に、新たな作譜が必要です。2009年に元文楽の三味線奏者 鶴澤淺造(越後角太夫)が越後を舞台にした説経浄瑠璃「弘知法印御伝記」を復曲。2011年からは東京八王子在住の渡部八太夫が座付きの太夫となり、佐渡の文弥節を基本にして、古曲の復曲と新作の作譜を続けています。

猿八は座を主宰する西橋八郎兵衛が住む佐渡の地名です。現在は新発田に稽古場を置き活動しています。人形を遣ってみたい方、衣装やかしらを作ってみたい方、浄瑠璃を語ってみたい方、随時、座員を募集していますので、お気軽に稽古場をのぞいて見て下さい。

お問合せ 電話 080-2012-9115 西橋

猿八座HP(外部リンク)

 

 

【7月10日朝9時より受付開始】

 

※①13時30分、②16時とも予約満席につき、「キャンセル待ち」にて受付しております。