ガイド地図利用案内 ギャラリー催し

 

2013年5月30日〜6月30日  ■主催:砂丘館(新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体)

人の裸(ありのまま)を描くことはとらわれない自由を呼吸すること
峰村リツ子展

 


峰村リツ子(みねむら りつこ)

1907年新潟市の沼垂に生まれる。生家は味噌の醸造業を営む。10代後半に東京へ行き、太平洋美術研究所で油絵を学ぶ。野口弥太郎、里見勝蔵、児島善三郎らの指導を受ける。女性の油絵画家の草分けの一人。戦前は1930年協会展、二科展、独立美術協会に出品。34年三岸節子、桜井浜江、佐州敏子らとグループ女艸会を結成。43年頃から戦争、子育てなどで制作を一時中断。戦後は50年代より女流画家協会、自由美術家協会等で発表。59年ニューヨークに約1年滞在。以後もしばしば滞在しデッサン、油絵などを制作。80年を最後に団体展の出品をやめ、以後は洲之内徹の現代画廊(銀座)で毎年個展を開催し、洲之内徹のエッセイ「気まぐれ美術館」でもしばしば紹介された。89年「新潟の絵画100年展」(新潟市美術館)、90年「ふたつのモンパルナス展」(板橋区立美術館)、91年「昭和の前衛展」(同)に作品が出品される。93年『峰村リツ子画集』(時の美術社)刊行、朝日ギャラリーで自薦展を開催。95年没。2013年「館蔵品展 日本近代絵画史1910s〜1940」(板橋区立美術館)に作品が出品される。


ギャラリートーク
●2013年6月22日
●ギャラリートーク
  
荒木いづみ
     (峰村リツ子四女)
  聞き手:大倉宏


同時期開催
●2013年6月22日〜30日
●峰村リツ子 ドローイングと油彩
●会場:新潟絵屋
 自由の風 絵に織り込み

大倉宏(美術評論家)

 
 峰村リツ子は、日本の美術史において、再評価されてしかるべき画家だ。その遺作展が新潟市で開かれている。
 生家は今も同市沼垂にあるみそ醸造の店、峰村商店。女学校時代の英語教師の自立した生き方に影響を受け、卒業後「嫁にやらされる」のを嫌って東京に行き、油絵を描き始め、二科展、独立美術などにたちまち入選する。三岸節子らとともに、女性の油絵画家の、草分けのひとりに数えられる。
 それだけではない。板橋区立美術館蔵の「本棚」など、当時の作は、佐伯祐三らの影響で日本に吹き荒れたフォービスム旋風の中で描かれた典型的な作品で、質も高い。いわゆる「日本的フォービスム」の主要画家のひとりとしても重要だ。
 戦後は自由美術家協会、女流画家協会を主な発表の場としたが、70歳を過ぎて団体を離れ、個展で発表しだした時期の絵がまた魅力的だ。今回の遺作展はこの晩年の絵を中心に構成されている。
 佐伯の親友里見勝蔵に、直接指導も受けた若き日の絵が、「時代の風」から生まれたものだったとすれば、結婚、出産等による空白期の後に、再開された絵は、そうして呼吸した、昭和初期の絵の自由を、自らの生き方の自由に織り込み、生き直した軌跡だったと思える。
 戦後の空気が残る昭和30年代、アメリカ人と結婚した娘を訪ねて行ったニューヨークで、モデルも描く方もさまざまな人種の、美術学校のデッサン教室に通い、たくさんのヌードをデッサンし、油彩にした。50代から80代まで続いたニューヨーク通いで生まれた絵は、前期の絵の緊張感、重さや暗さから解き放たれて、線はいっそう軽く、のびやかになる。
 西洋画のお仕着せ的モチーフとして日本にもたらせた「ヌード」が、峰村においては、写真的正確を爽快に踏み抜きながら、しかもリアルであることを失わない。線や色の力、リズムによって、裸=ありのままであることが、とらわれから放たれた自由な人間として映じてくるさわやかさがある。女の目が見たという点も含め、一連のヌードの特異性と意義は見逃せない。
 本展には57歳の時の大作「詩人の肖像」も出品される。孤高の画家・詩人の池田淑人を描いた作品は、その人生から人の姿形ににじみ出すものを、力まず、ユーモラスに映し出した傑作だ。身近な人々を描いた小品の肖像も多いが、多様な人生を興味と共感を持って見つめる目が、明るく、やわらかい。晩年の峰村を高く評価した洲之内徹が「そっくり」でないのに「似ている」彼女の絵の不思議を語ったのが思い出される。この肖像画家としての一面も注目されるべきだろう。ほか静物、風景にも同じおおらかさが横溢する。
 1907(明治40)年生まれ。没後18年にして、初の回顧展だ。。

2013年6月15日 新潟日報 掲載 

 「詩人の肖像(池田淑人)」1965年 油彩



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