ジャン-フランソワ・ゲリー 遺作写真展 「流木」を中心にの画像

ジャン-フランソワ・ゲリー写真展

ジャン-フランソワ・ゲリー 遺作写真展 「流木」を中心に

  • 開催期間:2023年2月16日(木)-3月26日(日)【終了しました】
  • 開館時間:9:00-19:00(3/1からは-21:00)
  • 定休日:月曜日、2月24日、3月22日
  • 料金:観覧無料
  • 主催:砂丘館

ジャン-フランソワ・ゲリーは、スイス大使館の文化担当官として、東京、ニューヨークなどに勤務したあと、フリーの写真家となり1992年に新潟に来た。そのまま2020年に77歳でなくなるまで新潟暮らしだった。
新潟日報の「ジャラン・ジャラン新潟」という写真と文の連載が目にとまり、新聞社の担当だったKさんに連絡してお会いしたのが最初だった。タイトルはインドネシア語の「ジャラン(歩く)」をだぶらせ、ブラブラするというニュアンスで作った造語だと教えられた。新潟に来る前に、世界各地を旅してインドネシアやタイやインドなどにも行ったということだった。たまたま私も新潟の下(しも)の古い町屋や長屋や路地に惹かれていた時分で、古い日本が好きで、永井荷風や志賀直哉を愛読するゲリーとは話が合った。
それまであまり深入りできなかった写真表現の魅力を最初に気づかせてくれたひとりが彼だった。新潟西港で撮った船の写真で、「L‘Appel du Large  (遠い海の呼び声)」という個展を2000年に新潟絵屋で企画させていただいた。それらが心に刺さったのは、諸々の事情で新潟を離れられない、閉じ込められていると感じている彼の旅=渡り鳥のように広い世界を往き来することへの強烈な願望と憧憬が痛いように伝わってきたからだった。ゲリーは特定のテーマで写真を撮ることをしなかった人で、写真は写真であり、それ以上でも以下でもないという考えの持ち主だった。船を撮ったのも、船自体への興味というより、船が彼から引き出す感情が撮影の動機だった。
その個展のあと、数年後に母の死を機縁に若き日を過ごしたパリに旅した本を刊行したあとあたりからは、たまに会うと、もう写真はあまり撮らないと話していた。写真の時代はフィルムからデジタルへと急速に変化していた。
写真を見てほしいと、思いがけずまた言われたのは、新型コロナウイルスの感染が拡大した2020年のことだった。白血病になったが、バイクで柏崎や巻の海辺に行き砂浜に打ちあげられた流木をデジタルカメラで撮っていたという。見ておどろいた。ジャン-フランソワ・ゲリーでしか撮れない写真がそこにあったから。
かつて見せてもらったすべての写真に私は「死の気配」を嗅ぎとっていた。写真はマッチの火のように瞬間を燃え上がらせる芸術だが、ゲリーの場合、燃えあがる「写真の瞬間」は、消滅=死の意識と陰画、陽画のように背中合わせだと感じたのだ。
その陰と陽が「流木」ではひとつに溶け、かげろうとなり揺れたっていた。波に濯がれ、白骨のようになった流木たちのなんとも「生き生きと死んでいる」様にゲリーの目と心が吸い寄せられ、狂喜していた。生と性と死が、奔放な流木たちの肢体にやどり、野獣の声をあげて踊り狂っていた。
それらから、遠藤龍がゲリーとともに選択したものを映像にし、福島論が音を重ねた「流木−死、エロス、幻と沈黙」を砂丘館で仮上映したのを見てもらった5日後に、ジャン-フランソワ・ゲリーはそのかげろうに吸い寄せられたかのように急逝した。映像は翌年、かつてゲリーもヌーボー・スイス・シネマの日本への紹介で関わった東京のアテネ・フランセ文化センターでも上映された。*
彼の死から2年、その映像を再び砂丘館で紹介する。改めてゲリーが見せてくれた500点の写真を見直し、私なりに選び直し、遠藤に依頼してもうひとつのスライドショーを作成してもらった。私からのジャン-フランソワ・ゲリーの人生へのささやかな応答として。
映像によるふたつの「流木」、「流木」から新たにおこしたプリント、そして彼自身が焼いた銀塩写真(2000年代とそれ以前の写真)をあわせて展示する。
*「再考−スイス映画の作家たち ダニエル・シュミット、アラン・タネール、フレディ・ムーラー」2021年6月25日〜7月3日の最終日に特別上映された。

「ジャン-フランソワ・ゲリーを語る」

3月11日(土)13:30-15:00

阿部周子(ジャン-フランソワ・ゲリーのパートナー) 聞き手 大倉宏(砂丘館館長)

参加料500円 定員15名 申し込みは砂丘館へ電話(025-222-2676) またはEメール yoyaku@bz04.plala.or.jp

※連絡先(電話番号)、人数を添えてください。

※申し込み時にいただく個人情報は当該目的以外には使用いたしません。

申し込み開始日 2月22日

同時期開催

ジャン-フランソワ・ゲリーの目

3月4日(土)~16日(木)11:00-18:00(最終日-17:00)

1990-2000年代の写真とゲリーの目が選んだ品々を紹介

新潟絵屋

新潟市中央区上大川前通10番町1864

tel.025-222-6888 info@niigata-eya.jp http://niigata-eya.jp

作家プロフィール

ジャン-フランソワ・ゲリー

Jean-François Guerry

1943年スイスに生まれ、パリで育つ。スイス大使館の文化担当官として東京、ニューヨークで勤務した後、90年辞職しフリーの写真家となる。92年から新潟市に在住。ギャルリーワタリ(東京・90年)羊画廊(新潟・98年)Arterage Modem Art Gallery(ウラジオストク・ロシア・99年)新潟絵屋(新潟・2000年)たけうち画廊(新潟・2004年)で個展。『週刊新潮』、新潟日報などに写真と文を発表。著書に『旅の虫』(2000年 新潟日報事業社)『パリでまた逢おう CI VEDIAMO』(2004年 同)。2020年12月砂丘館で最後の作品「流木」の映像を展示中に死去。