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にいがたの一冊

まなざしを言葉に

「洲之内徹 絵のある一生」
(新潮社 とんぼの本 洲之内徹・関川夏央・丹尾安典・大倉宏 ほか著)


上田浩子(デザイナー・新潟絵屋運営委員)
 
 10年近く前に友人から借りた「芸術新潮」の表紙には、もの問いたげなまなざしをした男性の肖像と、「洲之内徹 絵のある一生」の文字が書かれている。1987年に急逝された洲之内徹さんというひとの、それは没後7年目に組まれた特集号だった。
 洲之内さんは愛媛県松山市生まれ。生家は有名な陶器店だった。学生時代にマルクス主義に共鳴して活動し、二度の検挙の後転向、軍の仕事について中国で戦時の何年かを過ごした。文学を志し、芥川賞候補になったが賞は逃す。銀座で「現代画廊」を営むのは40代になってから。74年に「芸術新潮」ではじめた連載「きまぐれ美術館」は、亡くなるまでの14年近く休むことなく続けられる。その初回にとりあげたのは新潟の無名の作家、佐藤清三郎。
 これらのことをわたしはその特集号で知った。没後20年を期して、内容を再編集・増補して出版された「洲之内徹 絵のある一生」のページをめくりながら以前確かに読んだものだと思う半面、なぜかまったく違うもののようだとも思う。
 洲之内さんは、新潟と深い縁を持ったひとでもあった。50代から60代にかけていくども足を運び、濃密な時間を過ごす。新潟の土地とひとについて語る文章は、ときにどぎまぎするような熱意に満ちている。佐藤哲三の「みぞれ」という作品については、「霙降る薄暮に感じる想いは、北国のひとびとだけが知る切実な感情」(「佐藤哲三『赤帽平山氏』)と書く。確かにそうであるかもしれない、けれど、そう言われてしまうことは気恥ずかしい、赤面してしまう、冬の灰色の空をわたしは愛してやまないのに。
 まなざしはその目を持つひとひとりのものだけれど、洲之内さんはそれを言葉にした。洲之内さんは、「洲之内徹というありよう」を生んだのだ。そのありようにゆさぶられたひとたちが寄せた文章をあらためて読み返して、遠く離れたところにいると思っていたはずの自分もまた、いま強くゆさぶられているのだと気づいた。
 絵は不思議だ。描いたひと、見つめるひと。まなざしは、その絵を介してリレーされていく。それが、決して会うことのかなわぬひとのものであっても。

                         2007年12月9日 新潟日報


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