映像展示2022 mikkyoz016
映像展示2022 Ayano Hattori 微速 ゆれる葉、車の音 4月13日(水)-24日(日)【終了しました】 mikkyoz016 4月26日(火)~5月8日(日)【終了しました】 そのゆっくりとした制作、公開という創造の過程を見る側として共有してきたmikkyozの映像/音を今年からは時期を変えて春に「展示」する。 砂丘館という自分が身を置く場所で見るというのが、私にとっての見るということだから、事前にその映像をデータで送ってもらい、液晶画面で見るということは今はほとんどなく、あってもそれを見た経験として感じることはない。2012年以来毎年、そんな見ることを重ねてきた経験から生まれてきたある信頼のようなものが、この継続する展示になった。 きっかけは、けれど、あずかったデータをコンピュータ上で再生し、瞥見したことで、それは「見る」(具体的な場所で、見る、展示を見る)ことではなかったとしても、見たい…と感じさせる、なにかをはらんだ時間の感触だったから、そこから「展示」のはじまりが、はじまったのだった。 今回mikkyozに先立って展示するAyano Hattoriの映像を、上に書いたような意味ではまだ私は見ていないのだが、同じような感触はあった。 それはたとえば、Ayano Hattoriから手渡された紙にあった、このような言葉に。 「被災地からの帰路、車の中で眠りに落ちた。少なくとも2,3時間眠ったに違いない。目が覚めた時には、車は首都高の渋滞にいた。夕暮れ時だった。裾野を伸ばし、より空の高いところへと拡張する大都市は、目が眩むような垂直なコンクリートの森に思えた。津波の痕の何もない空っぽの水平線も、見えない放射性物質に覆われた穏やかでなだらかな山並みも、目にしたあらゆる平らな風景はまるで、もう遠く彼方だった。何も見なかったのではないかという思いがよぎった。」 見るとはなんだろう(そして見ないとは…)。 展示を見て、感じ、考えたい。 (大倉宏) Ayano Hattori You Saw Nothing in Fukushima mikkyoz016