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2006年3月25日 ■主催:砂丘館(新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体)


五世 鶴澤淺造「義太夫の世界」
 

芸名 五世 鶴澤淺造
   
(つるさわ あさぞう)
本名 上原誠己
   
(うえはら せいき)
1950年 新潟市(旧・巻町)生まれ
新潟高校、東京外国語大学(フランス語学科)を卒業。大学在学中に、国立劇場文楽研修生第一期生となる。

■1972年:義太夫節の三味線弾きとして四世鶴澤重造(じゅうぞう)に入門し、師匠の前名・淺造を名乗り、人形浄瑠璃文楽座(ユネスコの世界無形文化遺産)に所属する。同時に、国立劇場で人形浄瑠璃文楽座の初舞台を踏む。以降、文楽座の定期公演で、国立劇場(東京)、朝日座、国立文楽劇場(大阪)などで年間約200日間の舞台を勤める。他に、NHKなどの放送や、国内の地方公演や海外公演などにも参する。
■1997年:約25年間の舞台生活を経て、文楽座を退座し、家業(上原酒造、エチゴビール)を手伝う。
現在、新潟市の市民歌舞伎「みなと座」などで義太夫節を指導している。また、弾き語りによる義太夫の名曲の演奏活動をしている。
■文楽座在籍中は、十世竹澤弥七、初代野澤松之輔、九世野澤吉兵衛、四世竹本越路大夫、四世竹本津大夫ら多くの人間国宝や優れた師匠に親炙し稽古を受ける。舞踊の地方(ぢかた)としても、中村歌右衛門、中村吉衛門、吉村雄輝、長谷川一夫、大川橋蔵ら、名優と舞台をともにする。賞に、文楽協会賞、因(ちなみ)協会賞


 
〜演目のあらすじ〜

 
■「壷阪観音霊験記」沢市内の段よりお里のサワリ
 物語は、奈良の壷阪寺(つぼさかでら)の片ほとりに住む、貧しい若い夫婦が主人公です。
 妻のお里は、盲目の夫・沢市(さわいち)の目が治りますようにと、毎夜寝静まった頃に、壷阪寺の観音様に願を掛けに通います。
 沢市は、美しいお里に好きな男ができたのではと疑い、それをお里に問いただします。
 お里は、夫を思う心を愛情をこめて吐露します。
 物語は、最後に観音様のお蔭で沢市の目が開いてハッピーエンドになります。

■「本朝二十四孝」四段目 狐火の段
 物語は、新潟にも関係のある、武田信玄と上杉謙信のお話ですが、お聴き頂く部分は、氷の一面に張り詰めた諏訪湖を狐が渡ってゆく様子です。
 三味線の節付けや間合いは、狐の独特な動きや目の動きをも考慮に入れて出来上がっていて、ちょっとケレンのある聴かせ所になっています。

■「傾城阿波の鳴門」八段目 十郎兵衛住家の段(巡礼唄の段)
 今日聴いて頂くのは、或る事情から別れ別れになっていた、お母さんの“お弓”と、十歳の娘の“おつる”が偶然に出会い、名乗り合えずに別れるという、出会いから別れまでの場面です。
 追われる身となってしまった、おつるの父母。捕らえられれば一緒にいる娘の命も危うい。
 お弓は胸も張り裂ける思いでおつると別れます。


「義太夫にかける想い」
 帰郷して10年、仕事のかたわら愛する新潟の地で、義太夫の世界を私なりに発展させていきたいと思っています。
 義太夫の弾き語りというジャンルは、かつてはあったのですが現在ではほとんど行われておりません。そういった意味でも、自分自身に対する挑戦でもあり、文楽や義太夫の普及の一環と考えています。
 かつては新潟でも義太夫は盛んであった筈ですし、新潟からこのような活動を発信してゆきたいと夢に描いています。
 義太夫は、江戸時代から明治頃までは、現在私たちがカラオケで歌うような感覚で、口ずさまれ親しまれてきました。実は、「日本のソウルミュージック」でもあるのです。
 また佐渡には、文弥節や説経節という義太夫以上に長い歴史を持つ、土着の民衆のエネルギーから発達した素朴な弾き語りの芸能があり、その方面にも今後関わっていきたいと思っています。
 皆様に少しでも楽しんで頂けるよう、頑張りたいと思います。今後とも宜しくお願い致します。


砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅)
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