■「壷阪観音霊験記」沢市内の段よりお里のサワリ
物語は、奈良の壷阪寺(つぼさかでら)の片ほとりに住む、貧しい若い夫婦が主人公です。
妻のお里は、盲目の夫・沢市(さわいち)の目が治りますようにと、毎夜寝静まった頃に、壷阪寺の観音様に願を掛けに通います。
沢市は、美しいお里に好きな男ができたのではと疑い、それをお里に問いただします。
お里は、夫を思う心を愛情をこめて吐露します。
物語は、最後に観音様のお蔭で沢市の目が開いてハッピーエンドになります。
■「本朝二十四孝」四段目 狐火の段
物語は、新潟にも関係のある、武田信玄と上杉謙信のお話ですが、お聴き頂く部分は、氷の一面に張り詰めた諏訪湖を狐が渡ってゆく様子です。
三味線の節付けや間合いは、狐の独特な動きや目の動きをも考慮に入れて出来上がっていて、ちょっとケレンのある聴かせ所になっています。
■「傾城阿波の鳴門」八段目 十郎兵衛住家の段(巡礼唄の段)
今日聴いて頂くのは、或る事情から別れ別れになっていた、お母さんの“お弓”と、十歳の娘の“おつる”が偶然に出会い、名乗り合えずに別れるという、出会いから別れまでの場面です。
追われる身となってしまった、おつるの父母。捕らえられれば一緒にいる娘の命も危うい。
お弓は胸も張り裂ける思いでおつると別れます。
「義太夫にかける想い」
帰郷して10年、仕事のかたわら愛する新潟の地で、義太夫の世界を私なりに発展させていきたいと思っています。
義太夫の弾き語りというジャンルは、かつてはあったのですが現在ではほとんど行われておりません。そういった意味でも、自分自身に対する挑戦でもあり、文楽や義太夫の普及の一環と考えています。
かつては新潟でも義太夫は盛んであった筈ですし、新潟からこのような活動を発信してゆきたいと夢に描いています。
義太夫は、江戸時代から明治頃までは、現在私たちがカラオケで歌うような感覚で、口ずさまれ親しまれてきました。実は、「日本のソウルミュージック」でもあるのです。
また佐渡には、文弥節や説経節という義太夫以上に長い歴史を持つ、土着の民衆のエネルギーから発達した素朴な弾き語りの芸能があり、その方面にも今後関わっていきたいと思っています。
皆様に少しでも楽しんで頂けるよう、頑張りたいと思います。今後とも宜しくお願い致します。