ガイド地図利用案内 ギャラリー催し

 

2006年2月16日〜3月12日 ■主催:砂丘館(新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体)


椎の木を描いた画家 保多棟人展
 

保多棟人(やすだ・むねと)
1947年東京生まれ。武蔵野美術大学で麻生三郎に師事。在学中からグループ展、2人展等で発表。73、77年滞欧。79年写実画壇展(上野の森美術館)、81年樹展(大阪丸善)に「平久保の椎」出品。80年現代の裸婦展(日動画廊)に「リンダ」出品。81年7月南伊豆吉佐美大浜で遊泳中高波を受け水死。33歳。没後東京、湯布院、鶴岡等で遺作展が開かれる。

ギャラリートーク
「『平久保の椎』をめぐって」
●2006年2月25日
●木下晋(画家)・大倉宏

ギャラリーコンサート
保多由子(メゾソプラノ)
鈴木大介(ギター)
●2006年2月26日

平久保(びりくぼ)の椎(シイ)

■場所:多摩市落合4丁目7番地の2 平久保公園 ■交通:京王相模原線/小田急多摩線 多摩センター駅からバス「一本杉公園」下車 ■樹のデータ:幹周4.5m(1988年環境庁調査) ■保護制度:東京都指定天然記念物

 
無限の自由見つける

大倉宏(美術評論家)

 
 保多棟人(やすだ むねと)という作家の存在を私に教えてくれたのは、東京の画家児玉晃さんだった。私たちの画廊「新潟絵屋」が、あまり知られていないすぐれた作家の紹介に取り組んでいることを知り、こんな人もいますよと、彼の遺作画集を送ってくださったのである。
 児玉さんは東京で開かれた保多の遺作展に感動した。たしかに、いただいた画集からも並々ならぬ力が伝わってきた。自画像、裸婦、工場のある風景といったモチーフのなかで、大きな常緑樹を描いた連作が目にとまった。タイトルはみな「平久保の椎」。平久保は「びりくぼ」と読むと、後に棟人の妻由子さんに教えられた。
 保多棟人は1981年遊泳中に高波にさらわれ、33歳で亡くなった。その2年前から、多摩の自宅近くの平久保の丘に立つ、樹齢数百年はあろうかという椎の大木の絵を描きはじめていた。晴れた日にはオートバイにキャンバスを乗せ、地面にイーゼルを立てたという。
 彼の絵には、武蔵野美術大学で師事した麻生三郎の強い影響が見られる。麻生の影響を受けた画家は少なくないが、そのことで悩んだ画家も多い。麻生は戦争の時代の重さ、痛さを、描くことの中核に据えながら、重く熱い人間像から、複雑な肌合いの抽象へ徐々に移行していった画家である。
 麻生の影響の強さは、そのような作風が彼の人間存在と結びつき、浮薄なもの、安易なものへの妥協を許さない否定となって、影響を受ける者の作画の方向まで規定したことにある。才能豊かな、率直で真摯な画学生だった保多は、そのような師の力の作用をまともに受け、それゆえに苦しみもしたであろうことが、絵にうかがえる。
 椎の木を描きだした頃から「自分は何かを掴んだ」と友人に語るようになったという。連作「平久保の椎」から伝わってくるのは、描く喜びという熱い緑の風だ。画布に挑みかかるような筆遣いと、色と色を激しく衝突させ、複雑なマチエールに組み上げていく手法は麻生三郎的だが、そこに若々しい喜悦感を浮上させ得たことに、師の呪縛からの解放が見える。砂丘館に今回展示される10点の椎の木の絵は、似ているようで、一点一点が違う。風に揺れ、光を泡立たせる巨木と格闘しながら、彼はいくつもの新しい自分に会った。そのみずみずしい驚きが、絵を見る者をも揺さぶる。
 昨年夏、彼の以前のアトリエを訪ねたあと、由子さんに案内していただいて平久保の椎の木に会いにいった。木の一画だけが公園になり、棟人がイーゼルを立てた場所は住宅地になっていた。絵のたけだけしいイメージと異なり、真下から見上げる木は幹が幾十にも分かれて、思いのほか明るく、光がやさしい。麻生三郎的な地の世界とは対極の、天の静けさを感じた。保多棟人が見つけたのは、この天と地の間に枝を広げる人間の精神と感覚という空間の、無限の自由と豊かさだったかもしれない。

2006年2月18日 新潟日報 掲載


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