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2008年9月26日〜10月19日 ■主催:砂丘館(新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体)


感じる風景 喜多村知展
 

喜多村 知(きたむら さとる)
1907年大連に生まれる。郷里は山口県津和野。京都絵画専門学校、川端画学校に学ぶ。帝展に入選5回。のち国画会に出品(89年退会)。76年から洲之内徹の現代画廊で個展をほぼ毎年開催。95年下関市立美術館で回顧展。97年89歳で没。

ギャラリートーク
●2008年10月12日
●ギャラリートーク
 「喜多村さんの風景を語る」
●原田光(前横須賀美術館副館長)
    /聞き手:大倉宏

 

同時期開催
喜多村知展
●2008年10月3日〜12日
●画廊Full Moon


 
喜多村知の画業 初めて紹介
孤独で凛々しい風景

大倉宏(美術評論家、砂丘館館長)

 
 すぐれた風景画家、喜多村知(1917〜1997)。新潟をしばしば訪れ佐渡、能生、弥彦などの風景を残したが、その画業をまとまって紹介する新潟では初めての展覧会を開いている。
 くしくもこの秋、同じ新潟市の万代島美術館で回顧展が開催される新発田の画家佐藤哲三(1910〜1954)とは共に国画会に出品し、親交があった。東久留米(東京都)に住む喜多村を私が訪ねたのは25年前、その佐藤の話を聞くためだった。戦争が始まろうとしていた時期、東京で会った佐藤がルネサンスの絵について熱く語ったこと、また昭和28年夏、新発田の佐藤宅で一夜を過ごし、傑作「みぞれ」の前で話をしみじみ聞かされたことなどを語りながら、思い出に吸い寄せられ弾んでいく画家の顔と声から、すぐ脇に佐藤が生きて在るかのような錯覚を感じた。
 佐藤が本質的に風景画家であったとすれば、喜多村もそうだった。年齢的には佐藤のほぼ倍を生きた喜多村は、晩年になるほど深く、明るい風景を描くようになる。70歳ごろから、洲之内徹の現代画廊でも発表したが、その風景を洲之内は「見る、というより立ち向かう勇気を要求される絵だ」と評している。
 抽象と見まがわれるほど混沌の様相を深めていく喜多村の風景は、佐藤が「みぞれ」で切り開いた地平を、内奥で受け継ぐ仕事であったように見える。「みぞれ」には濡れる大地や木々や灯や人が描かれているが、それらより早く「何か」に揺さぶられながら、やがて大地や木々や灯や人に私たちは気付く。「何か」は「感じる」ということ。風景が風景としてたち現れるとき、風景を構成する個々のものより早く「感じ」が人をとらえる。見る前に人は感じる。
 佐藤と同じく体にハンディを持っていた喜多村だが、しばしば遠くへ足を伸ばして風景を描いた。喜多村が求めたのは彼を感じさせる場所、風景が風景として現れてくる土地だったのだろう。幾度も訪れたという能生の漁港で、スケッチの様子を撮影した映像を見ると、紙にパステルを走らせる画家の手は、描くというより、目の前をすばやく駆けていくものを一心に追うようだった。
 見えてくる一瞬前の山、水、空を喜多村はとらえようとする。美しい能生や佐渡の絵には屋根、道、海に見えるものがあるけれど、それらは「描かれて」はいない。描く=モノを描写する=ことは見ることに追いつかれ、感じることを剥ぎとられることだからだ。感じることだけを追う。その単純な作業への集中を喜多村は年齢を加えながら深めていった。描かれていない能生、弥彦、佐渡の絵にだから私は画家が全身で感じたもの、空気の気配、潮のにおい、光のゆらぎ、瓦のざわめきにふるえる心を感じる。混沌と見えてもこれらは具体的な風景、心がその時、そこに立ち、感じた能生であり佐渡なのだ。
 透明で暖かい色彩、風のように画面を駆ける線、筆の動き、漁師小屋の壁のように素っ気なく美しい絵肌。サービスも媚びもない絵の前で、私も見るのではなく、感じる心ぜんぶで「立ち向かう」ことを要求される。そのように孤独で凛々しい風景がここにある。

2008年9月30日 新潟日報 掲載


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