ガイド地図利用案内 ギャラリー催し

 

2009年2月13日〜3月22日 ■主催:砂丘館(新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体)


ふれている遠さ 3人の写真家の「まなざし」
牛腸茂雄・関口正夫・三浦和人 展

 

牛腸茂雄(ごちょう しげお)
1946年新潟県加茂市生まれ。68年桑沢デザイン研究所写真研究科卒。83年没。主な個展に75年「闇の精」養精堂画廊(東京)、77年 「SELF AND OTHERS もう一つの身振り」、82年「見慣れた街の中で」ミノルタフォトスペース(東京)、「牛腸茂雄展」東京国立近代美術館(東京)、2004年「牛腸茂雄1946-1983」新潟市美術館、三鷹市美術ギャラリー、山形美術館。写真集に71年『日々』(関口正夫との共著)、77年『SELF AND OTHERS』、81年『見慣れた街の中で』(以上自費出版)、04『牛腸茂雄写真集』共同通信社。

関口正夫(せきぐち まさお)
1946年東京生まれ。68年桑沢デザイン研究所写真研究科卒。主な個展に88年「日々片々」ルナハウス(東京)、89年「過ぎ去った日のこと」、91年「街1989-1990」FROG(東京)、94年「ささやかな時」Mole(東京)、2002〜05年「こと」連続4回展Contemporary Photo Gallery(東京)。06年「distance―関口正夫・三浦和人そして牛腸茂雄」中京大学アートギャラリーC・スクエア(名古屋)、08年「スナップショットの時間―三浦和人と関口正夫展」三鷹市美術ギャラリーが開かれる。写真集に71年『日々』(牛腸茂雄との共著)、03年『こと』(以上自費出版)。

三浦和人(みうら かずと)
1946年東京生まれ。68年桑沢デザイン研究所写真研究科卒。70年まで凸版印刷アイデアセンター写真部に勤務。79-97年東京造形大学、96-2005桑沢デザイン研究所、03-日本写真芸術専門学校で非常勤講師。主な個展に1986-96年「On the record」連続10回展Mole(東京)他、97年「会話・見ることの習慣」展楽風、柳沢画廊(浦和)、2002-04年「re-wind」連続3回展Contemporary Photo Gallery(東京)。06年「distance―関口正夫・三浦和人そして牛腸茂雄」中京大学アートギャラリーC・スクエア(名古屋)、08年「スナップショットの時間―三浦和人と関口正夫展」三鷹市美術ギャラリーが開かれる。写真集に98年『会話 correspondence』Mole。

ギャラリートーク
●2009年3月8日
●ギャラリートーク
 「写真を語る」
●関口正夫+三浦和人
     聞き手:大倉宏

関連イベント
●2009年3月14日
●DVD上映
 佐藤真監督
 『SELF AND OTHERS』2001年

関連イベント
●2009年3月14日
●経麻朗ギターコンサート
「SELF AND OTHERS」と
        ジャズの世界
 (オリジナル曲を中心に)


 
日常の感興 すくい取る

松沢寿重(新潟市新津美術館学芸員)

 
 3人の写真家―牛腸茂雄、関口正夫、三浦和人―の展覧会が、砂丘館で開催されている。
 加茂市に生まれた牛腸を除いて、関口と三浦は東京都出身。3人に共通する接点は、ともに1946年生まれで、桑沢デザイン研究所の同期生として、大辻清司に師事したことである。彼らは、互いに尊敬し励まし合う友人であり、時に厳しく見つめ合う良きライバルでもあった。
 『日々』『SELF AND OTHERS』『会話』『こと』。3人の手に成る4冊の写真集から、今回の展示のために選ばれた作品は、計70点。それらを、行きつ戻りつしながら眺めていると、ふと「日常」というものの深奥から吹き寄せてくる風に、静かに顔をなでられているかのような心持ちがしてくる。
 窓から空を見上げる犬、公園で水遊びする少年、道端に座り込む老人…。3人がスナップショットで街角から採取してきたものは、一見あまりにも変哲がない。そのありふれた事象のほんの一瞬の間からすくい取った、「おや?」と思わせる不思議な表情、えもいわれぬ感興こそが、私たちの心の袖をそっとつかみ、立ち止まらせるのだ。
 「見過ごされてしまうかもしれないぎりぎりのところ」に、あえて賭けているという、際どい意識。しかし、こうした取り組みを、牛腸と関口が最初の写真集『日々』(1971年)で世に問うた時、投げ返されたのは、「牙のない若者たち」に象徴される痛烈な批判の言葉であった。折しも、安保闘争や赤軍派の事件が世ににぎわしていたころ。イデオロギーの嵐が吹き荒れる当時の社会状況に、意識的にコミットしなかった彼らの写真は、容赦なく「視線の脆弱さ」を指弾されたのである。
 ここで言う「牙」が、観る者を挑発するかのような作意、表現の鋭い毒気であるとすれば、彼らの写真には、そうした要素は極めて希薄である。だが、「牙」があらわでないという理由で、果たしてそのまなざしは脆弱に堕するものであろうか。
 『日々』への批判を、最も深刻に受け止め、まなざしの訴求する力を最大限に援用、構造化した牛腸の『SELF AND OTHERS』(1977年)。早世した牛腸の後を引き継ぐかのように、まなざしを介した子供たちとの交感をつづった三浦の『会話』(1998年)。『日々』における手法をひた向きに黙々と続け、その可能性の豊かな地平を開示してみせた関口の『こと』(2003年)。
 これらが、持続する意志によって裏打ちされた、強靱なまなざしの堆積を必要としたであろうことは、想像に難くない。
 今度の展覧会は、さしずめ「牙のない若者たち」の同級会、といった趣である。「政治の季節」が遠く過ぎ去った今、その言葉にどれほどの意味が残されているか知らない。
 ただ、時流の批判に流されず真摯に歩み続けた彼らの40年の軌跡が、確かに、今、ここにある。

2009年2月18日 新潟日報 掲載


砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅)
〒951-8104 新潟市西大畑町5218-1
TEL & FAX 025-222-2676