どうして素敵?
清楚ですました美人はいない。すっとんきょうな顔をしてたり、口を尖らしてたり、目を金魚みたいに見開いてたり、なのに誰も彼も(いや彼女も)素敵なのだ。ほんとうに橘三紀の女たちはみなチャーミングである。
明るく、あざやかな色。乱暴で粗相、とさえ言ってしまいたくなる筆の跡。追い詰められたネズミがいきなりダンスを踊り出したみたいな捨て身がどの絵にもあり、それが実にいい。煮詰めた夕日みたいな赤がどの絵も強く印象に残るけれど、こうして近作を大小数十点続けて見ると、その赤を際立たせる青の存在にぼくは気付く。冷たい日本海が夕日の色を際立たせるように、青の幹に咲く赤。そのすきまからこぼれるような緑や、紫やオレンジのなんという透明な美しさ!
強い色を使う画家は多いけれど、このようにそれを「美しく」感じさせる絵は少ない。橘はまれにみる本当のカラリスト(色彩画家)のひとりだと思う。
強さがそのまま生気に、美しさになっている。最初の問いに戻ればそれが、絵に浮かび上がってくる女たちの魅力でもある。ここには男に従属したり、目立たぬように俯く「古風な」女はいない。おのれの気持ちに素直に、強く生きながら、成熟し、個性的な人として、そして女として、輝くものたちのイメージがここにある。。