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白木ゆり(しらき ゆり)
1966年東京生まれ。89年女子美術大学芸術学部洋画(油絵)専攻卒。91年多摩美術大学造形学部版画研究生修了。個展はベイスギャラリー(東京 '93、'94、'00)、楓画廊(新潟 '01、'03、'05、'08)ほか多数。グループ展に現代日本美術展('99年「和歌山県立近代美術館」)、青島国際版画ビエンナーレ('00中華人民共和国「奨励賞」)、「特集・版―その多様な展開」('04東京国立近代美術館)、「KAMI(紙/神)―silence-action 現代日本の美術」('09ドイツ・ザクセン州立ドレスデン州立美術館)、「五月の風をゼリーにして持ってきてください」(銅版画五人展)('09ギャラリー憩ひ・佐賀)など。2005年銅版画集『SONIC 1992―2005』を楓画廊より刊行。パブリックコレクションは東京国立近代美術館、町田市立国際版画美術館、和歌山県立近代美術館、多摩美術大学美術館、青島市立美術館(中国)、山梨県立美術館、東京都世田谷区在住。 |
ギャラリートーク |
●2010年7月4日
●ギャラリートーク 「soundからripenessまで
そして版を越えて」
●白木ゆり/聞き手:大倉宏 |
同時期開催 |
白木ゆり展 ● 2010年7月2日〜11日 ●画廊 Full Moon(企画 楓画廊) |
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「sound-8」1998年
エッチング、ドライポイント |
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「雨上がりの朝」紙.エンボス |
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新たな展開見せる「線の絵」
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大倉宏(美術評論家) |
白木ゆりの「線の絵」を数年前、初めて見て、震えた。目ではなく、体が。
表情豊かとは少し違う、しかし同じもののひとつとしてない、線、線、線。目から入ってくるのに、目に隠された秘密の抜け穴を通り、耳へ、肌へ、花へ、体内へ入り込み、動き始める。それは新潟の画家栗田宏の線の感触にも似ていたが、違う、独自の線だ。
栗田の線が鉛筆でじかに刻まれる直截的なものであるのに対し、白木の線は「間接的」だ。銅版画という、版に刻んだ線が腐食や刷りという「間」を介して紙に接する方法で、「線の絵」に彼女が入り、広げていったことには、意味があったと言わなければならない。1990年代に注目されたシリーズ「sound」を制作したとき、彼女はしばしば「目を閉じて」描いた。
なぜ閉じたのか、目を。白木が制作を始めた80、90年代はコミック、イラストレーション、映像、インターネットなど視覚メディアが広がり高度化した時代だ。出来上がった「見えるもの」に吸い込まれてしまう世界。そのただなかで、白木は目を閉じ、すでにある何かから、遠ざかるため、版画という「間」を選ぶ。「見えるもの」におおい尽くされた世界から、見ることを切り離し、線を「聞こう」とした。
視覚を視覚から解き放った「sound」から、版に穴を開けるなど新たな展開を見せた「ripeness」シリーズなど近年の作品までを砂丘館で展示。そして、版にインクを盛らずに刷った「雨上がりの朝」=写真=などの最新作が画廊 Full Moonで紹介される。紙が紙に陥没し、盛り上がる画面は緩やかで、強いボディーブローのように、またしても私の「見る」を打ち、震わせる、体を。
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