安吾さんとの出合いは、十七の年に、はじめて『桜の森の満開の下』を読んだことでした。どうして手にしたのかは思い出せないのですが、十歳のころ自分で自分に付けた「華雪」という名前の意味が花吹雪であることが、気持ちのどこかにあったような気がします。
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かれは気がつくと、空が落ちてくることを考えていました。空が落ちてきます。 |
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山に囲まれた街で生まれ育ち、見上げる空はいつもどこかが山に切り取られていた目には、「落ちてくる」ような空は絵に描かれた空のようで、かえって記憶に鮮明に残ったのでした。
二十七の年に、はじめて新潟に行きました。十二月でした。その分厚い灰色の雲に覆われた空の下、行く当てもなく大通りを歩いていたら、大きな河があらわれて驚きました。河の一方は、海に流れ込んでいて、そこもまた深い灰色をしていました。幾重にも灰色が折り重なって広がる光景に絵の中の空だった「落ちてくる」空を見た気がしたのでした。新潟に、その後、こんなにも足を運ぶことになるとはまだ思っていなかったころでした。
茫漠と広い空と河と海に、風の音が加わると、それはもっと広く大きなものに思えました。親しみでもない恐さでもない、ただ離れるとまた帰りたいと思う何かがありました。最近、新潟の友人が、それを「野生」と書いているのを読み、それまで遠くにあったこのことばが身体にすっと入って来ました。
何度立ち尽くしたか、何度思い出したかわからない「落ちてくる」空の下、安吾さんが立っただろう、歩いただろう、忘れてはいけませんね、泳いだだろう場所を歩きながら、安吾さんが書いた一節を思い出していました。
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私のふるさとの家は、空と、海と、砂と、松林であった。そして吹く風であり、風の音であった。 |
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今も目の前にある、それらは安吾さんが目にしたものと同じではない。けれど、彼がいた光景と繋がっている「野生」を、「私」は見ている。聴いている。そう思いながら、歩いていました。
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