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高田洋一(たかだ よういち) 1956年大阪府生。79年大阪芸術大学美術学科卒。81年第15回現代日本美術展大賞。96年第6回ブルネル・アワード奨励賞ほか。90年文化庁芸術家在外研修員としてベルリンに滞在。和紙、竹、石を用い、わずかな空気の流れを捉える繊細で穏やかな作品の動きが早くから注目され内外での美術館、画廊での展覧会多数。06年新潟市新津美術館で個展。兵庫県立近代美術館、富山県立近代美術館他にパーマネントコレクション。09年「水と土の芸術祭2009」招待、新潟市新津美術館前庭に「水の声」設置。大規模なパブリックアートも多数手がける。近年アートと科学など異分野をつなぐワークショップ、出前授業などアートの教育普及活動も活発に行っている。 |
ギャラリートーク |
●2011年6月18日
●ギャラリートーク
●高田洋一/聞き手:大倉宏 |
関連イベント |
●小さな茶会/高田洋一の作品「白い一日」にて作家と過ごすお茶と語らいのひと時
●2011年6月4日・5日
●中野綾子・加藤千明ダンスパフォーマンス
●2011年6月18日・19日 |
同時期開催 |
●高田洋一展
●2011年6月22日〜30日
●会場:新潟絵屋 |
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空気に揺れる軽やかな造形
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荒井直美(新潟県立近代美術館主任学芸員) |
高田洋一に出会ってかれこれ10年が経つ。いやその作品はそれより前から目にしていたはずだ。恵比寿ガーデンプレイスの頭上や、横浜みなとみらいのビルの前に、見慣れた風景の中にゆったりと動く高田の作品があった。
90年代にかけて作家は大都市を中心に多数のパブリックアートをてがけているが、巨大な金属の立体が、ただそこに吹く自然の風によって動くと聞けば人は驚くかもしれない。
出発点は和紙と竹だった。模型飛行機作りに夢中だった少年は、大人になって翼によく似た作品を作り始めた。やじろべえのように均衡を保つ、羽のような作品は、人が歩いて起こるほどのわずかな空気の流れにも呼応して浮かぶように揺れ、和紙はほのかに光を透かせて半透明の影を作りだす。それはおよそ「彫刻」のイメージから隔たった軽やかな造形だ。
そうした初期の作品から最新作までを砂丘館と新潟絵屋で相前後して見ることができる。
この個展を開催するかどうか、高田は真剣に思い悩んだという。3月11日は私たちに見えない大きな力の存在をいや応なく思い起こさせた。
大地が文字通り私たちの生活を根底から揺るがし、海が一瞬にして街を一飲みにしてしまうこともできるということ。原子力という強大なエネルギーは、私たちの制御を離れればいつだって私たちを焼き滅ぼすこともできるのだということを。
そのときアートのなんと無力なことだろう。
今回出品する作品の一つ《浮遊林》は10年前に始まったシリーズである。海岸や河原で拾った玉石に、流木が乗って軽やかに踊る。見えない風、重力、そして水の流れに洗われた石と木。自然のエネルギーのありようはいつも、高田の制作の核心をなしていた。
未曾有の災害を目のあたりにして、まさに自然の力をテーマとしてきた作家が葛藤したのは無理からぬことだっただろう。
大自然を前にすれば人間の営みなどささやかなものにすぎない。それでも私たちは自然の恵みによってのみ生きる。自然に抗うでもない、支配するでもない、高田の可憐な造形にはその大いなる力の片鱗がいつも必ず宿っている。一見理知的に見える作品の中に、私たちが忘れかけていた自然への畏敬の念が、ひっそりと結晶している。人為と自然の緊張関係の上に成り立つ作品は、問いかけるかのように揺れる。
ところで、高田が新潟に来るようになって5年になる。2006年の新津美術館での個展以来、新潟市内の中学校でのワークショップや西区DEアート、09年の水と土の芸術祭にも参加し、その作品《水の声》は今も新津美術館の前にある。高田にとって新潟は懐かしい土地の一つかもしれない。会期中に作家と再会することを楽しみにしているファンも少なくないだろう。4、5日には作家と語らう「小さな茶会」が、18日にはギャラリートークも予定されているという。18、19日のダンス公演も楽しみだ。一つの展覧会が一過的なものに終わることなく、期せずしてこうして年を重ねるごとにこの地の人々との縁が繋がり、広がり続けていることに、驚くとともに嬉しく思う。
高田洋一の作品の前に佇むとき、私たちの間に通うのはけして見えない風だけではない。。
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