ガイド地図利用案内 ギャラリー催し

 
   
      
        華雪
 
  栗田宏さんの絵をはじめて知ったのは、新潟絵屋から毎月届く展示の案内だった。そこに印刷された小さな図版を見た時、実物を見てみたいとすぐに思った。結局その時は展示を見に行くことはできなかったが、実物を見たいという衝動はその後も心に残った。
 今年に入ってから届いた案内の中に、栗田宏展と書かれた白い横長の葉書を見つけた。葉書の中央には「密」と題された絵の図版が刷られている。淡いピンク色の画面の中に濃い赤の細かい点の集まりが楕円形を形作っている。その色にしばらく見とれて、それが赤鉛筆だけで描かれていると気が付いて、また見とれた。顕微鏡で見る世界と霧がかかった遠くの景色を一度に思い起こさせるようなその図版を見ながら、やっぱりすぐに実物が見たいと思った。からだがそわそわした。
 2月のある夜、新宿の高層ビルの間から新潟行きの夜行バスに乗った。次の日の早朝、到着した新潟駅は低い雲から雨が降り冷たい風が吹いていた。
 新潟絵屋から海の方に向かって20分程歩いたところにある砂丘館は旧日銀支店長宅で、その敷地にはお屋敷と蔵がある。栗田さんの展示はお屋敷と蔵を使って行われているとある。
 砂丘館に着く。玄関を入ると右手の壁にひとつだけ絵が掛けられている。小さな白い画面に黒い形が描かれている。顔を寄せて見るとその形も点の集まりで、ひとつひとつの点の周囲には微かな飛沫があるように見える。はじめこれは銅板を針で尖いて出来た点を腐食させた版画だと思った。それ程ひとつずつの点は別の表情を見せていた。じっと画面を見ていると、玄関の先の応接間から砂丘館の館長の大倉さんが迎えてくださった。これは銅版画ですか、と尋ねるといいえ鉛筆ですよと言われ、戻ってもう一度見た。これも鉛筆の筆跡なのだなと思った。私の知っている筆跡とは全く様子の違うものがそこにあった。鉛筆は紙を凹ませて跡を残すのだと思った。強い力ではないかもしれないけれども、紙に垂直に下ろされた力の集まりを、画面の中のひとつひとつの点から感じていた。
 大倉さんの後に付いて応接室に入る。暖房の効いて温かく明るい部屋の中にはソファがあった。おだやか雰囲気の小柄な男の人が一人座っている。大倉さんから栗田さんですと紹介された。目が合うと急に緊張して、栗田さんの頭の向こう側に掛かっている絵に目を向けた。何を話したのかもうはっきりと思い出せない。時々微笑される眼鏡の奥の目もほとんど見ることが出来ず、話している間ずっと栗田さんの目から上の辺りとその後ろに掛かっている絵を交互に見ていた。
 話が途切れた。大倉さんの会場をご覧になりますかという声に促され、お屋敷の奥へと進んだ。約20年の間の作品が部屋のあちこちに並べられている。一人の人が過ごした時間をこうしてひとときに見ていることをふと不思議に思った。作品を見ていく中で絵に書かれたサインに目が留った。栗田、と漢字で書かれている。一画と一画の間にすき間があって軽い筆圧で淡く書かれている。その字を見ていると、絵で描かれたひとつずつの点がどんな筆圧で描かれているのか分かる。点がある画面をその字は浮かび漂っているように見えた。
 砂丘館の一番奥にある蔵までやって来る。中に入ると、今まで整った額に収められていた絵は手ずからの様子のささくれた木の枠やダンボールをくり抜いたマットの中に収められていて、あっと驚くと同時に絵にもっと近づいたと思った。足を進めては戻り画面を見詰めている内にこのひっそりした表面をはがすと熱を感じるのだろうなと想像していた。絵の中のひとつひとつの点の烈しさが見えた気がした。画面から目を離した時、蔵の木の床に細く開いた窓から差し込んだ光が陽だまりを作って揺れていた。
                    (2007.8.29)
 


砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅)
〒951-8104 新潟市中央区西大畑町5218-1
TEL & FAX 025-222-2676