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2005年7月24日 ■主催:砂丘館(新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体)


新潟市無形文化財「市山流舞踊鑑賞会」

踊り/市山七十世
お話/小山芳寛
 

  

小山芳寛
(郷土の文化に親しむ会理事長)

「市山流」を
  市民の宝物に


 日本舞踊市山流が、新潟市第1号の無形文化財に認定され、2003年7月23日、市山七十郎さん七十世さん親子に認定書が手渡された。
 新潟市の文化財指定はこれまでに43件。この中に無形文化財は1件もなく、このたび無形文化財誕生に心から拍手を贈りたい。
 町人文化を軸に発展した新潟市は、有形無形を問わず、歴史的、文化的財産が少ない地域といわれてきた。城下町にみられる史跡や、歴史的建造物などの有形文化財が少ないのは当然としても、無形文化財については、長い間、話題にもならなかったように思う。灯台下暗し、とでもいうのだろうか、ごく身近に市山流という誇るべき独自の文化がありながらである。
 市山流の流祖は、大阪の歌舞伎役者であったといわれる。初代市山七十郎(1700年代初頭から中期にかけて活躍)の長男七蔵は、ポーランド・クラクフ国立博物館秘蔵の浮世絵コレクションに、歌川国貞の作品として描かれ、チェコ・プラハ国立美術館所蔵の浮世絵の中にも、歌川国芳の作品として見ることができる。
 三代目市山流が新潟に拠点を移したのは、新潟の港が天領となり、初代奉行・川村修就(ながたか)が着任した1843年の数年後であった。当時の港町新潟は殷賑をきわめ、花柳界は全国屈指の規模であったといわれる。役者で舞踊に堪能だった三代目は、地元花柳界に多大な影響を与えたであろうことは想像にかたくない。以後、市山流は現在に至るまで新潟市を拠点としている。
 かつて、日本の女優第1号として絶大な人気を博した川田芳子は、現宗家六代目七十郎さんの叔母にあたり、長岡歴史博物館に十余枚のブロマイドが収蔵され、往時の日本美人をしのぶことができる。
 日本舞踊の家元は、東京、京都、大阪、名古屋の4都市に拠点を構え、地方には唯一新潟市に市山流があるのみである。現在、地元のお弟子さんは減少傾向であるのに対し、東京では増えているという。郷土の誇るべき市山流が、永遠に当地の文化として、また宝として保存されるに、このたびの無形文化財指定は、慶賀の至りといっていいだろう。
 私が新潟市に「市山流を無形文化財に」と要望書を提出したのは、平成14年2月であった。約1年半で認定されるとは思っていなかった。市歴史文化課の素早い対応と、綿密な調査に感謝すると同時に、今後も新潟市の宝として、行政の支援をお願いしたい。
 また、市山流が世界に誇る新潟市独自の文化として発展するよう、流派のお弟子さんたちが「新潟市の第1号無形文化財の伝承者」という自信と誇りを持って舞踊の研鑚に励むことができるよう、そのための環境整備を心から望みたい。

2003年8月4日 新潟日報「私の視点」に掲載

 


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