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佐藤家の羽子板

持ち主について

佐藤家(新潟市中央区西堀前通)はかつて古町九番町で「庄内屋」という芸者の置屋(お茶屋)を営んでいました。佐藤家の先祖で庄内屋で芸妓をしていた佐藤(庄内屋)シン (1873年生)は新潟花柳界が全盛だった明治中頃に新潟で1,2を争う売れっ子として活躍した芸妓で、大正天皇の伯父にあたる伯爵・柳原前光(さきみつ)に見初められた美貌の持ち主としても知られています。その庄内屋シンが集めたと伝えられる雛人形や五月人形は2007年より毎年砂丘館で展示を行っており、ご好評を頂いています。 今回は、その佐藤家が所有している大正〜昭和初期のものと思われる羽子板13点を初めて展示致します。どうぞごゆっくりご覧下さい。

≪羽子板の歴史≫

● 中国の14世紀頃に硬貨をつけおもりとした羽根を蹴る遊びがあり、これが室町時代に日本へ伝来したことが羽根つきの起源とされています。戦国時代から羽根つきに厄払いの想いがこめられ、江戸時代には羽子板に絵が描かれたものを年末に邪気よけ・縁起物として贈るようになったと言われています。羽子板の図柄は日の出・七福神・松竹梅などめでたい絵に加えて、江戸時代には町人文化・元禄文化を反映して「歌舞伎」の役者絵が登場、錦絵の影響を受けた貼り絵の羽子板が作られ、その後、より装飾性の高い「押し絵羽子板」へと発展していきます。

≪押し絵羽子板≫

● 綿を布でくるんで様々に立体的な絵柄に仕上げたものを「押し絵」と言い、これが羽子板に取り入れられたのが江戸時代の初め頃。江戸時代後期の文化文政期(1804〜1829)になると、歌舞伎役者の舞台姿を写した羽子板が登場し、江戸の人々の人気を博しました。明治に入り、歌舞伎黄金時代が到来すると、九代目団十郎・初代佐団次・五代目菊五郎など名優の押し絵羽子板が登場し、江戸・東京の伝統工芸・職人芸として完成していきました。全部で50〜70もの材料を組み合わせ、およそ200もの工程をかけて一枚の羽子板が作られています。

● 押し絵羽子板には一般的に男物と女物と呼ばれる2種類があり、男物は別名「役者物」と言われ、歌舞伎役者が見栄を切ったときの表情や仕草を躍動的に描いたり、実在の役者の顔を似顔絵風に描いたりしたものです。女物は目のぱっちりとした美人を描いた「見立て物」をはじめ、浮世絵風の美人を描いた「浮世絵風」、目の細い日本画風美人を表現した「松園風」があり、男物は不景気をはねのける縁起物として、女物は祝い物として飾られています。


砂丘館(旧日本銀行新潟支店長役宅)
〒951-8104 新潟市中央区西大畑町5218-1
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