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2008年6月13日〜7月6日 ■主催:砂丘館(新潟絵屋・新潟ビルサービス特定共同企業体)


少年の夢 高見修司遺作展
 

高見修司(たかみ しゅうじ)
1950年兵庫県加古川市に生まれる。中央大学中退。父の死後、衝撃的に絵を描きはじめる。一時南太平洋のポナペ島に住むが、体調をこわして帰国。80年から新潟に住み、水彩画を始める。82〜84羊画廊(新潟)、88年中野紅画廊(東京)で個展。ニューヨークのアーヴィング・シュテットナーと文通。89年病疫。91年『少年の夢高見修司画集』(高見修司画集刊行委員会)刊行。羊画廊、ゆーじん画廊(東京)で遺作展。2000年新潟絵屋で遺作展。

ギャラリートーク
●2008年6月29日
●ギャラリートーク
 「未完成の魅力〜高見修司の水彩画をめぐって」
●信田俊郎(画家)/聞き手:大倉宏

少年の夢 高見修司画集

「少年の夢 高見修司画集」

1991年4月20日発行
3,500円
編集・発行:高見修司画集刊行委員会
      代表 堀一雄
      新潟市中央区古町8
      羊画廊内


「山巓の光」大倉宏


 
没後19年 高見修司遺作展
自由に描く姿勢を貫徹

大倉宏(美術評論家、砂丘館館長)

 
 あじさいの花を思わせるかおるような色の風が、古い日本家屋を通っていく。淡いなかにさわやかな強さがある。
 高見修司は19年前、38歳で亡くなった画家だ。生まれは兵庫だが、30歳ごろから新潟に住み、独特の詩的な絵を多数描いた。死の2年前に東京で開かれた個展を見て新鮮な印象を受けた。のち新潟で一度だけ訪問を受けたことがある。体格のいい人で、配送の仕事をパートでしながら描いていると聞いた。早世の知らせには心底驚き、没後まもない時期の遺作画集や遺作展の実現にかかわらせてもらうことになった。
 遺作は知人や友人、コレクターたちの手に渡ったものも多いが、砂丘館で開催中の久しぶりの遺作展ではそれらも含む約50点の作品が集められている。これだけの数を一堂に見るのは私も初めて。そして20年以上前に感じた印象が少しも色あせていないことに驚く。
 高見は一時石膏デッサンを学ぼうとしたことがあったが、ほどなく放棄した。父の死を契機にいきなり絵を描きだした高見に基礎的な修練は、迂遠な道に感じられたのだろう。もっと彼は直接的に描きたかったのだ。とはいえその強い衝動に釣り合う描き方を見いだすまでには、彼なりの葛藤と迷いがあったようだ。会場に並ぶ水彩の一部には、まだどこかかみ切れないものをかむような鈍さが見える。しかし新潟で、透明水彩を主に鉛筆、パステルなどを併用しつつ描きだしてから、次第に筆の走りに生きたリズムが出てきた。無造作で、粗い筆致ながら、粗さをのり越え子供の歌声のような生動感が現れてくる。

 絵の具や紙などの素材に対しても、プロフェッショナルな画家の細心さとは違うけれど、彼の感性は感応している。踊りの基礎はないのに踊りたくてたまらない人の体の動きが、なぜか人の心をとらえてしまうことがあるように、彼の絵は私を今も揺らす。それは技術的な不足や欠落を超える詩想の強度を彼が抱え、技術を磨くのではなく「自由に描く」体当たりを繰り返し続けた姿勢の力かも知れない。
 高見が死の数年前から文通したアメリカの詩人・画家のアービング・ステットナーが言うように、高見修司の絵には「『そうだ』という肯定の調子が、祝祭に恍惚とするような気分がみなぎっている」。体当たりが記憶の地層を揺らし、幸福感に彩られた夢想の破片を霧のように散乱させた画面は美しい。
 砂丘館の日本家屋の廊下を抜けていく活気ある風は、幼少年期の光やにおい、詩という言葉を知らないころの詩の気分を思い出させる。

2008年6月26日 新潟日報 掲載



絵から出る無邪気な風
東京で高見修司の個展

大倉宏
 
 この冬、上越新幹線に乗って幾度か東京へ出かけた。
 車窓から闇がぬぐいさられると、突然うそのような明るい光と輝く山並みが飛び込んでくる。空が暖かい。「時間旅行」という言葉がいつものことながら思い浮ぶ。けれども、群馬から東京に近付くにつれて、次第に風景が色あせてくるように感じられるのはなぜだろう。
 明るさに目が慣れてくるせいもある。木々の緑がほこりっぽい。空は高いのに、ドームのなかにいるような閉塞感がある。上京という言葉とは裏腹に、空気のよどんだ地下室へ下りていくみたいな錯覚にとらえられる。上野駅の長いエスカレーターをのぼりきるころには、旅の気分までがもう黒ずんでしまっている。
 そんな上京の幾度めかに、中野駅の近くにある小さな画廊で開かれていた「高見修司展」(中野紅画廊、1988年3月5日〜17日)に立ち寄った。部屋に足を踏みいれた瞬間、体の中にたまったすすや汚れがきれいに吹き払われていることに気付いた。
 絵から風が出る。子供のようにすばしこく、無邪気で、気持ちの澄みきった風だ。世界の(心の)底をはつらつと流れるものが、想像力(ファンタジー)の匙で掬いとられ、紙の上に封じられている。カンディンスキーやヘンリー・ミラー、あるいは谷中安規をおもわせる、透明で喜々とした感情の歌声が、特に最近の作品ではよりおおらかになり、のびのびしてきたのが分かる。いい作家だ。新潟で食品の運送の仕事をしている人だという。
 新潟に戻って、職場の窓から夕空を眺めていたとき、淡い紫の階調に染めあげられた雲の奥に高見修司の絵が見えた気がした。重い鉛色の空が新潟の冬のイメージだけれど、その空の裂け目から時折、瑠璃のような青や再現不可能なほどの絶妙な薄暮の色がこぼれだす。高見修司の絵には、この厳しい自然の中で見いだされるのと同じ、清冽で無垢な色彩の輝きがあった。東京の街中で、あの画廊の空間だけがなつかしい異世界のように感じられた理由がわかった。

1988年3月26日 新潟日報 掲載


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