横山蒼凰さんの書いたことば展
日時:2024年4月10日(水)~5月6日(月)まで【終了しました】
こたえたいことば 二十年以上、冬の一時期教えているある美容系の専門学校の会議室兼講師控室にはいくつかの書の額が掲示してある。 「真 善 美」と書かれた額はある地元政治家の手になるもので、達筆で勢いのある字だが、長年目にしながらいつも浮かぶのは「なるほど、で?」という反語的独語で、自分のひねくれ具合を鏡に写されているような気がどうもしてしまう。 ところで『横山蒼鳳の書いた言葉たち』という、横山の没後一年目に刊行された本(発行者はパートナーの横山あやめさん)は、横山蒼鳳の書のあり方をよく伝えている。生前に本の制作を依頼された新潟の印刷会社博進堂が撮影、編集、印刷を手がけているが、なによりもまずもって写真がいい。 「(横山蒼鳳の)作品は、その場で生きている作品です。その作品が置かれている場の風景、そこにいる人たちの息づかい。その場の姿を、ぜひ写真で切り取ってみたいと思いました。心臓がドクンと鳴り、わくわくした気持ちになりました」と撮影、編集を担当した山城梨楊(故人)は後記に書いている。 小学校玄関の「どんな草にも花が咲く」中学校の廊下の「友だち、いいことばだな」、病院には「安心」「やわらかなあたまとこころ」、カレーショップには「くう象」、温泉旅館の「よりなされば」「酒よありがとう」「一山一湯」「鯉」「恋」、蕎麦屋の「どうぞ」。そして役場には「少憤多笑」「その日のために営々一年さくら」など。 書の置かれた場所と、その時の光と、そこにいる人と書をともに写したそれらの写真は、全体がなんと言ったらいいか、書の姿をした人が、のびのあるすこしぼそぼそしたような声で、半分つぶやくか、呼びかけるかするようなトーンで発語している「ことば」に見える。きこえる、と書いたほうがいいかもしれない。 こんなことばをいつも耳にしながら登校したり、遊んだり、受付をしたり、食べたり、くつろいだり、働いたりする気分はどんなだろう。 いろんな人が行きかう場に飾られる書や絵は、大体いつしか壁紙のように「見えなく」なってしまうもので、写真に写された子どもや大人たちにそんな質問を投げかけても、はて、そんなのあったかな? という顔をしたりするのかもしれないけれど、見えなくなっても、目にはいってるだろうそのことばたちは、どこかでなお「きかれている」はずで、どこかでそれらをきいている気持ちは「真 善 美」を目にして私が感じるそれとは違うだろう。 本の写真をぼんやり見ていると、私は、私の知っていたあの横山蒼鳳さんが、そこにまだ、いて、あのちょっとぶっきらぼうな表情と語り口で話しているような気がする。やや緊張はするものの、説教されるような気分はなく、というかちょっと微笑みたくなり、私もなにかを言いたく(こたえたく)なってくる。写真の子どもたちや大人たちも、きっとそうなんじゃないだろうか。 横山蒼鳳さんとの縁はもうかれこれ三十年も昔。新潟日報文化欄に、当時の同欄担当のKさんの提案で文芸評論家・若月忠信さんと私が交替執筆する「越佐の埋み火」という県内のあまり知られなくなった画家や文章書きを紹介する企画が始まり、その紙面を目にした蒼鳳さんがすかさず自分も書家について書きたいとKさんに直談判に来て(と、Kさんに聞いた)三人でのリレー連載となったのが最初だった。 「直談判」というのが、今にして思えばいかにも蒼鳳さんらしい。 その後の忘れられないエピソードは蒼鳳さんの生まれた下田村(今は三条市)の大浦小学校という古い学校が今度建て替えになるが、その建物が建った大正時代に植えられ大木となった銀杏の木は移植して残されることになった。が、その校舎の方も見てほしいと蒼鳳さん言われて一緒に見にいったことである。その校舎の風格にすっかり魅せられた私は、当時親しくしていたJIA(日本建築家協会)の方々に連絡し、新聞記事も書き、JIAのKさん、蒼鳳さんたちと当時の村長に「保存要望書」を手渡しに行った。 そんな直談判仲間となった私たちは、続いて新潟市公会堂が取り壊され新しい文化会館(今のりゅーとぴあ)が建設されることになったときも、そのガラス張りの建築をめぐってともに違和感を表明することになったが、設計案の「空中回廊」が県民会館を縄でしばるようだという蒼鳳さんたちの攻撃にはあまり同感できなかったことなども思い出す。 そのころから町や建物にあれこれ「ものもうす」癖の高じた私は、何度か仲間たちと開催したシンポジウム会場に掲げる横断幕を蒼鳳さんに書いてもらった。大きな筆で一気に書いていただいた字は、今思うと山城さんにぜひ撮影しておいてもらいたかった。迫力があった。 二〇〇〇年に古い町屋を改装して仲間たちと始めた企画画廊「新潟絵屋」では、蒼鳳さんの企画で蒼鳳さんの薫陶を受けた人たちの個展も開催した。だが、なぜか蒼鳳さんの書を紹介したいという気持ちにならなかったのは、毎月送ってもらう「月刊 蒼鳳ジャーナル 大道」の手書き文字の言葉に、どこかしっくりこないものを感じたせいだったかもしれない。 蒼鳳さんは書家として独り立ちする前の病院勤務時代は「運動家」だった。強烈な運動家だっただろうと思う。強いものや権威に向かって、弱いものの擁護者として立ち向かうとき、自然に身に着けただろう闘争家らしい断定口調が、素朴なロマン主義者であいまいないい方を好んだ当時の私には刺激が強すぎたのだろう(どっちもどっちと言われそうだが)。 時が流れて去年、砂丘館で蒼鳳さんの三女の純さんから『横山蒼鳳の書いた言葉たち』を手渡された。蒼鳳さんの気丈さと、明るさをそのまま受け継いだような純さんの前で本のページを開くと、「声」がきこえてきた。人は死んでも、書は、ことばは、声は、生きつづけるんだなぁと感じ入り、なんのためらいもなく、展覧会をしましょうと純さんに言っていた。 (砂丘館館長) ========================================= ギャラリートーク 父と語る 横山純(横山蒼鳳三女) 聞き手 大倉宏(砂丘館館長) ========================================= 開催日時:4月21日(日) 14:00~15:30まで 定員:40名 参加料:500円 申込み:砂丘館まで(申込開始3月22日) TEL/FAX:025-222-2676・Email:yoyaku@bz04.plala.or.jp