佐佐木實展
日時:2024年11月21日(木)~12月15日(日)
佐佐木實
ヒからイへ
砂丘館での前回の佐佐木實展は2011年4月5月だった。 佐佐木は岩手県盛岡の生まれで、今も親しい人たちが盛岡に暮らしている。地震や、岩手、宮城、福島の海岸部に大きな被害をもたらした津波、そして福島原発の事故直後にたまたま予定していた展示の会期が重なった。 私の場合、大きな事件や出来事があると、それに注意を向けようとする気分とそらそうとする気分が同時に起こるたちで、「それ」が何であったのかを、自分自身より、むしろ人を介して実感していく経過をたどる。 蔵の二階を会期中クローズにして、新作を制作したい(制作時間以外は公開する)という提案が、震災の前からあったのか、そうでなかったのかは思い出せないけれど、実際展示と制作が始まり、しばらくたって何を制作しているのかと訊くと「出産」というコトバだと少しためらいがちな口調で答えがあった。制作経過を見る限りでは、はっきり分からなかったことだったが、その思いがけない言葉とともに、佐佐木の口調と言葉に、私は「それ(出来事)」の意味を説明できないながら強く「感じた」。 その後、ある時期から、佐佐木はカタカナ一字を主題にした制作を始め、近年はカタカナの「イ」に拠る「イ充つ」シリーズを継続制作している。その先がけとなったのが2014年12月に盛岡のギャラリー彩園子で発表した「ヒ象る」だった。 会場で佐佐木に訊くと、当時騒がれていた「特定秘密保護法」の制定の動きに言論統制の気配と恐怖を感じ、もし「ヒ(秘密保護法の「ヒ」)」以外を書き、語ることが禁止されてしまったら何が語れるかを試みたという。会場の空間を埋め尽くすさまざまな「ヒ」は佐佐木の生な感情と、その恐怖に身をさらしていく独特のパッションを同時に感じさせた。 「ヒ象る」はしかし、思いがけない方向に佐佐木を引っ張っていく。「ヒ」しか書き、語れない恐怖は、けれどそれでも書き、語ることが死なないことの確信を生んだのかもしれない。そしてあらわれたのが「イ」である。 「ヒ」を通過して登場した「イ」は、書き、語ることの不死の自信と、喜びを奏でているようだ。その喜悦ぶりがただならない。この佐佐木の「ヒ」と「イ」を、砂丘館の晩秋の客人として、また亭主として、迎えたい。大倉宏(砂丘館館長)