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映像/1unit+2人/2months   3/12まで会期延長します!

  • 開催期間:【終了しました】mikkyoz▶1/4(土)-19(日) 原田健一▶1/23(木)-2/9(日) 大川景子▶2/13(木)-3/1(日)
  • 開館時間:9:00-21:00
  • 定休日:1/6・14(mikkyoz) 1/27,2/3(原田健一) 2/17,3/1(大川景子)
  • 料金:観覧無料
  • 主催:砂丘館

1unit(mikkyoz)と2人の映像作家(原田健一・大川景子)を2か月間、連続して紹介します。

■mikkyoz014

2020/1/4-2/9

何度、砂丘館の蔵で、mikkyozの音と映像に会ってきたことだろう。

くりかえしは人為も自然現象に思わせる。ひとつ風土に長くいると、ある季節にだけよみがえる感情がある。晩秋、低い雲を頭上に見るときなど。

遠藤龍とleのmikkyozも、というか、1月の砂丘館の蔵で接するmikkyozの音と光も、また、そんな季節の感情のひとつになってきた。lesが砂丘館をポタラ宮になぞらえて語っていたのを、今日知った。岩山上に自然の一部のようにそびえるチベット建築と、ゆるやかな傾斜の端から、60段たらずの階段を上った上にある砂丘館は、坂や崖の下と切れつつ、つながっている点でなるほど重なるかもしれない。1月の蔵ーー低い雲のような場所に、ぽっかり浮かぶ、小さい、大きい暗がり。

そこに流れ出すものは、毎秋の雲に同じものがないように、違っている。変化してきた。進化、と言ってもいいかもしれない。でも変化や進化は、同時に最初からそこにあったものをよりあらわにするということであって、変わらないものに出会う、出合い直すということでもあるだろう。「季節感情」はそのシグナルなのだ。

mikkyozの変わらないもの。それは<止まっている動>だ。数年前のラスト、街灯の光を降る雪が静止画で映り、直後に動画にすりかわった衝撃を思う。lesの音がその瞬間、消え、と同時に静寂になまなましく、あふれた。無音の音、静止する動。動かないことの流れ。

それに、最初に出会ったときから、惹かれた。

例年のmikkyozの展示に加え、今回は角田勝之助の写真など、砂丘館に貴重な素材を提供してきてくださった原田健一、ドキュメンタリー映像の大川景子の仕事を紹介する企画とした。冬の2ヶ月。砂丘館の季節に新しい彩りが加わる。

大倉宏(砂丘館館長)

ギャラリートーク 1月10日(金)19:00-20:00

遠藤龍 聞き手:大倉宏 500円(申し込み不要 直接会場へ)

 

■原田健一 夢の中で倫理が生まれる

2020/1/23-2/9

1996年の記憶の夢 2019年の夢の記憶

こことあそこはつながっている

ここ、イニシュモア、イニシュマーン、イニシィア

あそこ、沼だったどこにも存在しない、にいがた島

 

Y 氏への手紙

イエイツを読んでいたのは1970年代末から1980年代の最初にかけてでした。アイルランド演劇の運動や『幻想録』、その背景にあるアイルランドの政治問題に興味をもったのでした。イエイツは「男が死に物狂いで戦うときは、どんな賢明な男も、心だち身を痙攣させて異形のものになる」とうたっています。

わたしは1970 年代の半ばには政治的な運動には、関わらないことを心決めていましたが、運動というものには絶え間なくかかわり続けてきました。時に自ら渦をつくり出し、時に渦の周辺に立ち尽くし、時に心のなかだけで一味同心していました。つくり出された仕事、映像はそうした背景なしには理解しにくいものばかりです。でも本当は、ただひたすら異形なものとなりたいと願った軌跡にすぎないのかもしれません。

わたしがイエイツに心惹かれ、実際にアイルランドに行ったのは1996年3月のことでした。その時、わたしの中にあったのは、イエイツが昔からアイルランドにある言葉として書き記した「夢の中で倫理が生まれる」だけでした。その映像も今から約20年前の記憶になりました。でも、その映像を今みるわたしは、過去の記憶というより、つくり続けられる未来の時間への入口に見えています。記憶は夢のなかで再生し、異物となって現実化するものなのかもしれません。

原田健一

*今回の映画『夢の中で倫理が生まれる』は、イニシュモアなどの島々動画の上映とにいがた島の写真の展示で構成されます。

ギャラリートーク 1月25日(土)15:00-16:00

原田健一 聞き手:大倉宏

 

堀川久子・踊り「踊ること・やってくるもの・流れ出すもの」&ギャラリートーク

2月8日(土)16:00-17:30

堀川久子+原田健一+大倉宏

1,000円(申し込み不要・直接会場へ)

 

■大川景子 フッテージを見る 佐々木卓也さんの指先から生まれるカタチ

2020/2/13-3/1(3/12まで延長します。)

映像作品を完成させるには編集の作業が必要で、わたしは映画作りの工程の編集というパートを主な生業としています。編集は簡単に言うと、フッテージ(撮影されたままの素材のこと)を頭から尻まで繋いで作品のかたちを作ることですが、そうは言ってもなかなか時間のかかるもので、撮影された沢山の素材からどのショットを使ったらいいかを選んで、どこからどこまで使うか長さを吟味し、また次はどのショットを繋げるかを考え…と、何度も繋いだり並べ替えたりを試行錯誤の地道な作業です。これは撮影時にそこにあったはずの時間や出来事をぎゅぎゅっと凝縮し、圧縮させるような作業なのだと思います。

わたしは編集作業を始める前の、撮影されたままのフッテージの連なりを、何度も何度も見る時間を、とても大切にしています。まだなんの役も担ってないありのままのフッテージから、そこにあった気持ち、ちいさな表情の変化、些細だけど何か引っかかるものを、宝探しのように見つける時間です。この作業はひとりでメモを取りながら、黙々とするのですが、もし目の前のスクリーンにながれる、誰かのある日の動作や、表情、他愛もない会話の様子をじーっと見つめ、じーっと聞く、ただひたすら感じるままに見る。そんなふうにスクリーンと向き合うような場があったらいいなと思いました。

今回の展示では、佐々木卓也さんを撮影したフッテージを流します。彼は絵を描き、粘土で立体作品も作るアーティストです。動物や人、心に留まったものをどんどん、かたちにしていきます。卓也さんの指先から作品が生まれるようすを私は何度か撮影してきました。久しぶりに卓也さんに会うと、彼の近況やエピソードはお母さんが全部おしゃべりで教えてくれます。フッテージのすべては、卓也さんと母睦子さんのある日の日常です。そこには撮影者である私からのメッセージはありません。大きな出来事やハプニングも起きません。ですが、ここには私の愛すべきものが、誰かに見て欲しいものが詰まっています。今のところ、これらを作品にまとめる計画はありませんが、砂丘館の空間でこのフッテージを見つめて、何かが呼応したらいいなと思っています。

大川景子

作家プロフィール

mikkyoz

le+遠藤龍

2009年より映像、音響を用いた展示とライブパフォーマンスを中心に活動

 

原田健一(はらだ けんいち)

1970年代「ライブ映画」と言われた原将人らのパフォマーティブな映像上映活動に触発され、1977年から奄美・沖縄の風景を相手にした『あがれゆぬはる加那』シリーズを制作し日本社会から滑落。映像業界の底辺労働者として彷徨するも、1992年より13年間、南方熊楠邸の調査に従事。研究者に仮装し、2008年より新潟大学人文学部教授となり、地域映像アーカイブプロジェクトを展開。

 

大川景子(おおかわ けいこ)

諏訪敦彦監督『ユキとニナ』(09)に編集助手として携わる。その後、筒井武文監督『自由なファンシィ』(14)、杉田協士監督『ひかりの歌』(19)、井手洋子監督『ゆうやけ子どもクラブ!』(19)等に編集スタッフとして参加。監督作に米国生まれの日本文学作家、リービ英雄のドキュメンタリー映画「異境の中の故郷」(13)。