人形浄瑠璃・猿八座「源氏烏帽子折」の画像

げんじえぼしおり

人形浄瑠璃・猿八座「源氏烏帽子折」

  • 開催期間:【終了しました】2018年 11月25日(日)①13:30~15:00、②16:00~17:30*各回とも公演内容は同じです/会場:一階和室
  • 料金:一般 2,000 円、中学生・高校生 1,000 円、小学生以下無料(保護者同伴にて幼児入場可)/各回定員:30名
  • 主催:砂丘館

源義経にまつわる伝説を下敷きに

能や幸若舞(室町時代に流行した語り芸能)の『烏帽子折』等を脚色して書かれた

近松門左衛門元禄三年(1690)の作

 

全五段のうち初段の「竹馬」と「卒塔婆引き」、二段目の「伏見の里」三幕を上演。

 <演目解説・あらすじ>

 

◆「竹馬の場」

義経の妻、常盤御前は三人の子、今若(後の頼朝)乙若(範朝)牛若(義経)と、京の片隅にひっそり暮らしている。九歳の今若は竹馬で庭を駆け廻り、六歳の乙若は赤絹を平家の赤旗に見立て矢で射落し、三歳の牛若は赤絹を喰い裂いて平家を討ち取ったと勝鬨を上げる。今若、乙若が手習いに出かけると、長田親子が帝の命に背いて常盤と牛若を捕縛する。長田庄司は源氏方で、義朝の忠臣鎌田正清の舅でもあったが、恩賞目当てに主君と婿を討って、平家方に寝返ったのである。

 

◆卒塔婆引きの場 

代々源氏に仕える藤九郎盛長は流浪していたが義朝の墓参に来て、幼馴染で義朝に仕えていた金王丸に出合う。盛長は主君が討たれたのは金王丸の所為だと嘆き、金王は盛長が浪人して心根が腐ったと罵り、喧嘩となる。二人は八寸角の卒塔婆を曳き合い、捻じ切った後に和解する。そこへ平家方の一行が捕縛した常盤母子を処刑するためにやって来るが、二人は長田太郎の首を刎ね、母子を救う。常盤に大和へ逃げるようにすすめ、二人は源氏再興を約束し、兵を集める旅に出る。

 

◆伏見の里の場 

雪の伏見に行き暮れ、宿を乞うた家の女房は藤九郎盛長の妹白妙であった。良人は平家方の侍弥平兵衛宗清。白妙は宗清に見つかる前に立ち去るようすすめるが、母子は進退窮まり、軒端に野宿する。宗清はこれに気付くが、何事も聞かぬが花と、空矢を放って母子を逐いやる。常盤親子を案じてあとを付けてきた藤九郎盛長は、事の次第を見届けて宗清に礼を述べ、源氏再興の兵を集めに東国へ下って行く。

 

<出演>

人形浄瑠璃 猿八座(さるはちざ)

「猿八座」は佐渡に残る「文弥人形」を基本に、数ある説経、古浄瑠璃から現代に向く作品の復活上演に取り組んでいます。

「説経」「浄瑠璃」は中世に始まる語り物。操り人形を伴って、京、大坂、江戸の劇場で盛んに上演されました。1700年前後に竹本義太夫がそれまでの浄瑠璃を集大成して「義太夫節」を創始し、今や浄瑠璃の代名詞となりました。義太夫節以前の「古浄瑠璃」の多くは荒唐無稽ながら、素朴な表現に捨て難い魅力があります。

文弥人形の語りは17世紀中頃に大坂の岡本文弥が語り、全国に広まった古浄瑠璃の一つ「文弥節」です。佐渡では明治初期まで盲人が語り継いだため、古浄瑠璃の特徴をより強く残していると考えられます。一体の人形を三人で遣う文楽の人形よりも小さく、古浄瑠璃に相応しいテンポの速い動きが可能です。

古浄瑠璃の台本として、太夫(語り手)の語りを聞き書きした「正本」を読み下し、文献や今に残る三味線音楽の曲節を参考に、新たな作譜が必要です。2009年に元文楽の三味線奏者 鶴澤淺造(越後角太夫)が越後を舞台にした説経浄瑠璃「弘知法印御伝記」を復曲。2011年4月からは東京八王子在住の渡部八太夫が座付きの太夫となり、佐渡の文弥節を基本にして、古曲の復曲と新作の作譜を続けています。

猿八は座を主宰する西橋八郎兵衛が住む佐渡の地名です。現在は新発田に稽古場を置き活動しています。人形を遣ってみたい方、衣装やかしらを作ってみたい方、随時、座員を募集していますので、お気軽に稽古場をのぞいて見て下さい。

お問合せ 電話 080-2012-9115 西橋

猿八座HP(外部リンク)

 

 

 

 

 

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