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潟の記憶展− そこでは風土と生活と人がいつも握手していた

  • 開催期間:【終了しました】2019 年 8 月 6 日(火)〜10 月 6 日(日)
  • 開館時間:9:00-21:00
  • 定休日:月曜日(8/12、9/16/、23 は開館)、8/13、9/17、24
  • 料金:観覧無料
  • 主催:砂丘館  協力:アクアデザインアマノ、潟東歴史民俗資料館、新潟と会、Bricole、豊かな越後平野の原風景を考える会

鎧潟の水は消え、田圃になったが/少年の心はいつまでも満水だった   国見修二 「鎧潟II」より

新潟市域は市街地(商業地・住宅地)、砂丘、海岸、河川などからなっていますが、もっとも大きい面 積を占めるのは田園です。この田園は信濃川と阿賀野川という二大河川下流域で、日本有数の穀倉地帯 である蒲原平野(越後平野・新潟平野)の一部でもあります。かつてそこには日本最大の湿地である釧路湿原をもしのぐ、広大な湿地帯が広がり、無数の湖沼が点在していました。人は縄文時代からここに 住み着き、湿地特有の自然に対応しつつ、農業をも営むようになりました。当地の稲作志向は強く、排水能力の低さや度重なる洪水、泥炭地に代表される農業に不適の土壌の問題などに悩みつつも、営々た る努力によって田んぼは徐々に広がり、近代には機械文明の力をえて、分水や放水路の開削、機械排水 や土壌改変などによって湿地や湖沼は田に変わってゆきました。

新潟市西蒲区にあった鎧潟は、蒲原平野有数の大きな潟でしたが、1958〜1966 年にかけての国営干拓事業で水を抜かれ、姿を消し、田んぼに変わりました。干拓事業にあたり、潟端の集落に関する大き な調査が行われました。潟端の集落では農業、狩(鳥)、漁、採集(菱や蓮など)を組み合わせた自然のサイクルに沿って生活を織り成す暮らしの形が残っていたことが明らかになりました。しかしそれらの 集落も、干拓後は農村に変わりました。

潟の記憶を体や心に刻んだ人のなかで、その記憶を形象化した少数の人がありました。石山与五栄門(1923―1997)は巻町(現新潟市西蒲区)職員として潟についてのさまざまな調査を行い、自らも潟 の光景や、潟と生きる人々の姿を数々の写真に撮って残しました。樋口峰夫(1943―2005)は幼い頃に 親しんだ鎧潟のイメージを独特の色調の幻想的な日本画に繰り返し描きました。また同じように鎧潟端 で幼少期を過ごした国見修二(1954―)は詩集『鎧潟』(1994)で失われた潟の記憶を数々の詩篇に刻みました。アクアリウムのデザイナーとしても知られる写真家・天野尚(1954―2015)は、その独自のア クアリウムの原点は少年期に親しんだ鎧潟だと語っていたと言います。

本展ではその記憶から、これらの多様な表現を生み出した鎧潟に焦点をあて、残された写真、絵画、 言葉、アクアリウムの展示をとおして潟の記憶を探り、さらに3 回のセミナーによって、新潟に生きる 人々にとって「潟」は何であったかを考え、未来の人間と潟の関係のあり方を展望します。

展示内容
・石山与五栄門の写真・樋口峰夫の日本画 約20 点・国見修二の詩・アクアデザインアマノ製作のネイチャーアクアリウム・鎧潟(1960年代)の大版地図・潟舟、漁具など

会期中の催し

潟をめぐるセミナー
− そこでは風土と生活と人がいつも握手していた

1. 潟はどうしてできたのか・鎧潟をめぐる暮らし
8 月 17 日(土)14:00-16:00 講師:澤口晋一(国際情報大学教授・地理学)・中島栄一(潟東歴史民俗資料館館長)

2. 潟の生き物たち さかな・鳥・植物…そしてアクアリウムのこと
8 月 31 日(土)14:00-16:00 講師:志賀隆(新潟大学教授・植物分類学)・井上信夫(生物多様性保全ネットワーク新潟)・大岩剛 (アクアデザインアマノ)

3. 鎧潟の記憶から未来の潟を考える
9月 15 日(日)14:00-17:00 講師:大熊孝(新潟大学名誉教授・河川工学)・国見修二(詩人)・斎藤文夫(郷土史家・写真家)

各回定員30名/参加料500円/要申し込み
申し込みは砂丘館へ電話、ファックス、E-mailで(申し込み受付開始8月7日)